平成19年(2007年)の阿佐船頭殿についての記事
阿佐船頭殿についての記事が掲載されています。
当時の阿佐地区の様子が写真によりわかりやすくなっています。
沖縄の地域調査研究より引用
http://yannaki.jp/zamami.html
【抜粋】11月25日~26日(平成19年)、座間味島へゆく。
【阿 佐】
座間味島にある字の一つである。集落の前方は湾となり阿護の浦と呼ばれている。
集落の前面は漁港となっている。
集落に入ると後方に立派な石垣囲いの家が何軒かある。
その中の一軒が「阿佐船頭殿の石垣」とあり、村指定の文化財となっている。「座間味村は、唐船の中継地として古くから栄え、各字には船頭御殿という屋号をもった
旧家がある。その中でも阿佐は、進貢船の風待ちの港であった阿護の浦に面し、
冊封使や進貢使が度々立ち寄って、記録等を残している。
船頭殿の石垣は、屋敷を取り巻く石垣と、入口奥のヒンプンからなり、
琉球王国時代の特徴のある作りとなっている。
特にヒンプンは、高さ二メートル、幅八メートルを有し他に類をみないものとなっていて、
王国時代の貴重な石造建築物である。」「仲尾次政隆」日記をみると1855年当時の阿佐村は16軒で、15軒が位牌持ちである。
その年、那覇からの便が一か月もなくお盆用に困っている。そこに登場する石垣内・御座敷・中の井・いり・船頭与那嶺などの家は今でも確認できる。進貢使として中国に渡った蔡大鼎(久米村出身)が1860年11月17日に那覇港をでて、同日阿護浦に停泊、約二カ月風待ちをして翌年の1月16日に出帆している。
『閔山游草』(1873年)に阿佐村が謡われ、当時の様子が伺える。
出典:沖縄の地域調査研究 座間味村(島)より
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http://yannaki.jp/zamami.html